※昨年の記事ですが、紹介されたので紹介します。
震災前約125世帯が暮らしていた船越集落は、海沿いの低地に住宅が密集する典型的な三陸の漁村だ。建物のほとんどが津波で流されたが、集落中心部の神社の裏に高さ20メートルほどの高台がある。海と離れて生活することのできない漁師を中心に、高台移転に向けた話し合いが進む。
船越集落は過去に繰り返し、津波被害に遭った。1933(昭和8)年の昭和三陸地震津波の直後にも、行政主導で高台移転の話が浮上、高台に宅地を造成したこともある。しかし、実際に移転したのは2、3世帯。多くは生活に便利な海の近くに住み続け、今回の津波で家を失った。
仲間と話し合いを続ける漁業の中里孝一さん(56)は「『千年に一度の津波』が50年後に来る可能性だってある。結局、集落を守るには高台に移るしかない」と話す。海が荒れて流木などが流れ着いたら住民は共同で片付ける。皆で「浜」を守るには集落近くの高台に住むのが一番だ。
船越は雄勝町の中では高台移転に向けた取り組みが進んでいる集落と言えるが、それでも確実に神社の裏山に住む意思を示しているのは30~40世帯に過ぎない。
神社裏山に集団住宅を造るか、一戸建てを造るかによっても異なるが、そもそも全世帯が暮らせるほどの広さはない。高台移転を実現できても集落の人口は大きく減る。
(以下記事全文)
http://www.kyodonews.jp/feature/news04/2011/11/post-5609.html
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